俳句は俳人だけのものか


子ども俳句・ハイクの展望          


人間の母胎はことばである。そのことばを素材として、組み立てられた俳句は作者の夢と現実がそれぞれ縦糸横糸となって織り上げられた、ことばの芸術の結晶である。日本の農耕文化生まれた俳句という伝統詩をながいあいだ大人専科の文芸として閉じこめてしまって、開かれている筈の子どもたちの琴線にじかに触れさせないということは如何にももったいない。

芭蕉は「俳諧は三尺の童にさせよ。初心の句こそたのもしけれ」と云ったと伝え伝えられている。子どものもつ言葉のちからの原初性を指摘したのであろう。既成の俳人から見れば、俳句の変種ともいうべきハイク(HAIKU)がアメリカでは小学生の言語教育に利用されている。始めはたんに実験的なものであったが、今では各地に定着し小さな結社が生まれ活動している。

今日、英語圏でのハイクの作り手として小、中学生は無視できない存在になった。一九三六年に高浜虚子はフランスへ行った。フランスのハイカイ詩人たちに向かって「あなた方は、フランス語の五・七・五音節でハイカイを書かなくてもいい。しかし季節感を入れて欲しい」と言っている。

音節構造の相違があるかぎり十七音節のフランス語や英語はあまりにも多くのことをいい過ぎる。またハイクを日本語の五・七・五音に翻訳するのは不可能であり、このことは漢俳の場合にもあてはまる。

                        韓涛(小四)
 少々蒲公英              小さな小さなタンポポニ
 対他軽々吹口気            フーッと息を吹きかけたら
 飛出小傘兵              小さな落下傘兵が飛び出した

                 Rabec ca Shoichet(小六)
Tiny pink blossom             ピンクの小さな花
You fall so graceful and light      優雅に軽やかに落ちて
Spin, ballerina!              回れ バレリーナ!

  それぞれの国の五・七・五音節であるが、冗語をきらう俳句の本質から著しくはずれていることは否定できない。見かけは完全だが何か欠け落ちている。もどかしく、はぐらかされる不安がつきまとうが、ハイク詩人達は季語の伝統のないところで本家本元の日本の俳句にかなわぬまでも、四季自然の永遠相を一句の中に切りとることに苦慮しているようだ。

  黄菊白菊一本(ひともと)は赤もあらまほし    子規

この予言に満ちた俳句を残したのはほかならぬ正岡子規である。今日の世界的な現象となっている俳句の、変形ともいえるハイクを予見して、この句を作ったわけではないだろうが、俳句を言語の特権的閉域とせず「赤もあらまほし」というところが寛容な理解を示しているように受けとれる象徴的な一句であるとはいえよう。

何でも国際化の時代であるから、むずかしく考えない方がいいのかも知れぬとおもいつつ、海外作品と対峙してみたものの私見ではリズムおよび形式を離れては、やはり俳句ではないと思う。

ショート・ショート・ポエムであるHAIKUと本来の俳句を、混同するといろいろな無理が生じてくるのである。俳句とは別個の新しい「詩」としてとらえたい。

では国内の子どもたちの俳句活動に目を転じよう。昭和から平成に入って、子ども俳句は地味ながら明らかに変容を遂げたようにおもわれる。 毎年どこかで繰りひろげられている小、中学生を対象にした俳句大会の参加句数は増加しつづけている。5百年の歴史をもつ俳句に流れる血液をしずかに静脈注射された子どもたちの身体の反応は、実に柔らかッ句豊かに息づいている。

そういう原始性が力に満ちたことばとなって人格形成に深くかかわり二十一世紀の精神文化の醸成にもつながってゆく。俳句の黄金時代などと浮かれている俳句ムラの大人たちとは、まったく無縁の俳句子供共和国から発信された表現は、おおげさな物言いをすれば大人以上に俳句的である。

数年前には考えられなかった子ども俳句の応募の数字や質の向上から、いまや堂々と市民権を得て八月十九日は819という、語呂合わせから「俳句の日」と決定したのである。市民権を獲得したばかりでなく、歳時記や書物もつぎつぎと出版されている。

誠によろこばしいことであるが、その内容はこれぞ俳句の代表作だとする芭蕉や蕪村、さらに近、現代俳人の作品の網羅である。子どもたちの世代にとってそれらは皆“シーラカンス”のような存在ではないか。

全国各地で子ども俳句が盛んであるかに見えるが、いまひとつ盛りあがらない原因は単純で固まった関係の味もそっけもない歳時記が作られ、未知の俳句をも含めた多様性を欠いているからである。もっと子ども自身の作品を取りあげて、常に生気を吹き込んでいくのが編纂者の責務であろう。

最後に子どもたちの作品をあげる。彼らの理解していることばの数や季語の数は大人には比べようもないが、知っているかぎりの全言語活動を地平にさらした俳句をどうか存分に味わってほしい。

 おりがみさんいまペンギンにしてあげる    木村しんすけ(小六)
 おじいちゃん柿もじゅくした死んだらあかん  滝本 晃雄(小三)
 まん月やおはかの石もおきている       金子 隆浩(小三)
 おひさまがうみのふとんにもぐってく     久米あさみ(小二)
 セロテープぐったりしてる八月だ       松田  咲(小二)
 サイダーの泡ことごとく反抗期        尾野寿康弘(中二)
 枯葉降れゴッホ・ピカソが掃きにくる     山下登志男(中三)
 足先が刃物となりし冬の夜          玉井 大介(中三)
 真っ白な童話がはずむ雪の朝         松田 晴美(中三)
 かぶと虫角振り上げて売られけり       佐々木清司(中二)
                        1994・5