俳句に見る男の美学

種田山頭火・憎みきれない“ろくでなし”         


 「男」という単語を目のまえに、ちらつかせても鼻のセンサーが 機能しなくなったのか、男に描く幻想が消えたのか、胸のあたりは 波立たず、かすかに空気すらも動かない。思うに、この私はもう、 若くはなくて全身人生の澱まみれ。えい、何としよう。とっぷりと 日の暮れぬうちに「男の美学」の対象人物に、生動して貰わなけれ ばならない。

男、おとこ、いまや男らしさは遠い日の白昼夢と化してしまった のか。かくなる上は、洛北随一の名刹で知られる、京都の大徳寺ヘ 参詣したついでに「男とはナンゾや?」と、自問自答をしながら、 思いを整えるのもまた一興というものだ。

広大な寺域の片隅に焼き物の狸が置かれている。かたわらの立て 札が語ることには、

≪大方の世捨て人には心せよ ころもは着ても狸なりけり≫

法衣をつけているからといって高僧とは限りませんぞ。如才なく にこにこして、いるからといって、善人とは限りませんぞ。本当は 老獪極まりなき狸かも知れませんぞ。

いかにも風狂の人、一休禅師ゆかりの寺と感じ入ったのであるが、 そのとき、ふいと六十年近い時間が一気に突き破られて、山頭火の うすよごれた顔が、信じがたいほどの現実感となって、目のまえに 現れたのである。

見渡す限りのすすき原で、風の音に聞き入って、破れ衣をまとい 笠と杖をたずさえた行乞姿。笠の下から、ひょいと振り向いた顔、 そのぶあつい眼鏡、特徴のある顎髭はたしかに、山頭火そのひとで あった。やがて風に舞いながら、ものさびた尾花のさわぎに掻き消 えてゆくのも、錯覚のなせるわざであったろうか。

う し ろ 姿 の し ぐ れ て ゆ く か


この俳句のまえを素通りすることは出来ない。昭和六年も、押し つまった十二月二十七日頃、雨の太宰府で作られたものというが、 世の中の姿かたちの、すぐれて美しいものに、男のうしろすがたが ある。山頭火がとぼとぼと歩いてくるだけで、そのままそれが彼の うしろ姿でもあるような。

平安貴族の才女の筆にならっていえば、しぐれる秋のタ暮は着物の 男のうしろ姿こそ、となる。そんな男のうしろ姿に<ふーけゆく  あーきの夜 旅のそーらぁの・・・・>と歌の、ひとふしも口ず さんでみたいものだ。

近年の山頭火ブームの背景には、俳句作品自体よりも彼の放浪の 生涯に関心が注がれてきたようである。 山頭火は、自分はただの流れ者ではないという誇りと、求道者と しての片鱗を持ちあわせていたからこそ「行乞記」や「其中日記」 を遺し、俳句にいそしみ、いつの日にか世に迎えられることもあら むという、夢をチラッと覗かせる華ごころもあったようだ。

幼少時、山頭火の身辺に生じた父の放蕩、それによる母の自殺、 その果ての一家の破産、そういう不条理な遺伝と、環境の重荷を背 負って出発した行き当たりばったりのデラシネ(定住よりさすらい を好む人)のような生き方。

時代を越え、俳壇を超えて、山頭火の人気が高いのは、その尋常 ならざる異質なものへの、驚きと畏怖とあこがれと尊敬を、 フアンが根強くもっていて、彼の俳句にうずくような懐かしさを 覚えるのであろう。

「あゝ酒、酒、酒、酒ゆえに生きても来たが、こんなにもなった 酒は悪魔か仏か、毒か薬か」。(昭和六年十二月二十八日) 反省と自戒の気持を込めた懺悔文を、何回となく書きつづっては 狂気を迂回するための酒、酒への溶け込みがつづく。あとはただ、 逃れようのないカタストロフィーヘと向かってゆくだけである。 山頭火さま、私はあなたを少し嫌いになりました。

僧にもあらず俗にもあらず、その宙づりの位置に体よく居座って 「依存してしまう自分」と「自立した人間でありたい自分」が、同 時に存在しているのである。この分裂した精神が、山頭火の体内で 振り子のように揺れ、俳友たちに無心し、甘えられるだけ甘え「層 雲」という、俳句結社を最も有効に活用しきったのである。

それを、歴史は絶対孤独を貫いた魂の遍歴と呼ぶ。
ここでランボオの「地獄の季節」を思い出す。肯定、否定を繰り かえしながら、ランボオが抵抗したのは、キリスト教世界であるが ランボオが六歳のとき、家族を捨てて家に寄りつくことのなかった 父。彼は母の手ひとつで育てられたが、このことはランボオという 人間形成に、決定的な影響を及ぼしたようだ。


書・周東 清芳 

十四行詩『母音』において「Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、 Oは青、母音たちよ、おれはいつかおまえたちの秘められた誕生を 語ろう、A、無残な悪臭のまわりを唸りとぶ、きらめき光る蝿ども の毛むくじゃらの黒いコルセット」というふうに、まず思と白から はじまるランボオの詩は、暗い世界の内奥から生まれ出た命のほと ばしりと言っていいだろう。

山頭火もランボオも、私たちの身近に感じられるような存在では ないが、孤独地獄によって肥大した彼らの妄想が掘りあてたのは、 安易な読者の思い入れを断ち切って、詩の真実に、変換させている 力である。孤独の美学を燃やしつづけ、みずからの人生のドラマを 創り上げた、男たちの生きた時代は違っても、地獄の地底からは、 みちづれの二重唱が聞こえてくるようだ。

も り も り も り あ が る 雲 へ 歩 む


昭和十五年、最晩年の作品である。山頭火という男の毒に、とき めきながら、試行錯誤の末にようやく万感の思いを込めて、選んだ サブタイトル。憎みきれない“ろくでなし”
山頭火さま、私はやっぱり貴方のフアンです。
1998.3