いわゆる「面白い俳句」とは何か


夢世紀へ新しい表現を目指す         


現代の心地よい混沌の中で、「面白い」という言葉は人々の心のなかに明るく響いてくるようだ。その面白いという語の語源は一体どこからきたのであろう。 サルからヒトへの轍を遠いまなざしで振り返って見るまでもなく皇室のご先祖さまである、アマテラスオオミカミに関係のあることがよく理解できる。つまり、天の岩屋戸前のあの大騒ぎの話の中に面白いということばが出てくるのである。


弟神スサノオの余りの乱暴に怒ったアマテラスが天の岩屋に閉じこもったとたんに、世界は一挙に闇と化してしまった。困り果てた神々が一計を案じ、愛嬌者の女神が裸で踊り一同どっと笑い興じたものだから、太陽女神が何ごとかと思い少しだけ岩戸を開けて外の様子を見ようとした。待ってましたと、力持ちの神が岩戸をあけたので闇の世界にひかりが戻った。

ストリップ・ショーとプロレスごっこのような、記紀神話中では殿方のもっともお好きな場面である。裸の舞に打ち興じてわらっていた神々の顔が、闇から射した一条の光に白く輝いた瞬間の喜びとやすらぎの気持ちを皆の顔が白く輝いた、面が白い、「面白し」と古代記紀は表現した。

このおおどかな物語の誕生は和銅五年というから、彼我の間には二千年ちかい時間の隔たりがある。時の彼方の文人のつぶやきが、なぜか昨日のもののようになまなましい。「面白い」という言葉はこのようにして遥かな旅路をくぐり抜けてきた翻訳不能の言葉なのである。

現在の俳句の世界の特徴として、遊びとかるみを全面に押し出した句が多くなり、定型を踏まえた上での自在な句形が目につくようになった。ここ十年来、「軽チャー」などという造語の出現と、時を同じくして「面白さ」の強調は、なにか強力な“くびき”から逃れたいというあらわれである。

俳諧俳句の俳は、元来が滑稽諧謔を意味する。つまり、おどけの風流心であり、おもしろい俳句こそ成熟社会に、必要な文芸の典型ともいえる。 笑う門には福きたるというではないか。しかし只げらげらと笑わすだけが滑稽のすべてではない。“かるみ”といって深さを棄てたわけではない。閑雅に深め高められたユーモアこそ俳句に望ましいものであろう。

猫の妻へついの崩れより通いけり         芭蕉

秋のいろぬかみそつぼもなかりけり     〃

春の海終日のたりのたりかな       蕪村

鮎くれてよらで過行く夜半の門      〃

芭蕉や蕪村の作品には古典や古歌を踏まえながら、それを滑稽化したものが少なくないが、いわゆる蕉風開眼後の作品にも、滑稽ということは決して忘れ去られてはいないのである。滑稽は、重くれ俳句の侍女ではない。 「面白い俳句はありませんか」と、デパートの名産品コーナーで聞いてみたのだが、なかなか手にはいらず、杉並の田邊村へ行かなければ入手できない、手作りのぬくもりのある俳句に注目した。

アネモネの電池がみんな切れている   春筐

着膨れてドミノ倒しを楽しめり      〃

みぞおちがいたくないかいかるがもよ   〃

朝顔の閉じてしまった男運        〃

雷を聞いてたらたら生返事        〃

紫陽花にまたも朝令暮改かな       〃

春筐俳句の核ともいえる<洒落・粋>から、無限の手応えを感じとることができ、そのアネモネ色の深いめまいからは、容易に抜けられそうにない。高感度の、洒落の絵解きはしないもの。わらえる読者は俳句を知っている。

善人に夏炉を焚かれ逃げられぬ     四十雀

こおろぎよ南瓜の下は都なれ       〃

味噌おでん薄墨の雁くるという      〃

鮟鱇を捕りにゆきしが溺れけり      〃

浜木綿は野伏と寝たる乱れよう      〃

風の貌して風の盆よりかえる       〃

俳諧は雅と俗の間を縫いながら、危うきに遊ぶものというがその遊び振りがお見事である。読み手も、この華麗なイメージの波間をただよわずにおられようか。巧みさを消す芸の力。それも、これも作者の人格から溢れでるものであろうが、すべては俳の心。只々、夏炉の香を聞く思い。なまじいな解釈や、分析はお呼びでない。

それにつけても「面白い俳句とは」が、問題になるということは俳句の世界の、どんな衰弱を表しているのだろうか。

あかるくて淋しい現代を背景に、俳句も俳人も明朗に病んでいるということか。現実がそうだとすれば、そこへ風穴を開ける「面白い俳句」の、役割が果たす力は大きい。 前衛俳句の旗手達から、大目玉を食らうのを覚悟の上で言わせて貰えば、“アヴァンギャルド”という言葉はすでに過去のものになりつつあるのではないか。

今は、過去と未来がいっしょになった世紀末という奇妙な時間。前衛俳句、伝統俳句の二分法を乗り越えた、あたらしい俳句表現の可能性に向かって助走しているのである。 そのときに、どのような未知の風景が、広がるのか期待をこめて見守りたい。

1996.11