歳時記について


          実作者の問題として            


歳時記ということばは、日本人と相性がいいようである。俳句に関連した俳句歳時記や季寄せの本はすでに、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)にもかかわらず大判でどーんと一冊、天然色刷りのあれもこれもとディスプレーされたものから、寂れた抒情を訴えているだけの羊頭狗肉のものまでつぎつぎと踵を接してあらわれる。

この歳時記と名がつけばなんでも売れる現象は、時間と経済的なゆとりが、人々の関心をこころの豊かさや、感性に向わせているのだろう。 しかしまた一方には野放図な開発や、都市化の波をかぶって優れた自然歴史的環境は荒廃しつつある。この国の豊かさでない豊かさ、平和でない平和のなかから生まれた副産物とでもいえようか。副産物ということばに抵抗があるなら、市民社会の申し子と言い換えてもよいだろう。

総じて日本の歳時記の源流は中国であって、それがわが国に文献として輸入され、いつしか宮中儀式をいろどり更に民間行事に影響をもたらし現在にいたっているわけである。

こうした移り行きを、跡付けるものとして貝原益軒の「日本歳時記」(一六八八)は、歳時記の名のついた最初のものであり、これは季題研究のため俳人にも利用された。

山本健吉は「単に、日本という風土の季節現象の記録であるにとどまらず、長い歳月のあいだに、選択し洗練し分類し集成し、一つの秩序の世界まで練り上げた日本人の創造物」と言い、寺田寅彦は「歳時記は日本人の感覚のインデックスである」と言ったが、俳句を好む人たちにとって、それは大いなる道標となり自然や伝統や日本語のエッセンスがいっぱい詰まった座右の書となるべき性質をもっている。

かって長谷岳は「歳時記は読むな」と、私に教えた。理由はよくわからないままに単細胞のわたくしは歳時記から離れ、総合誌もいっさい断ったことがある。いまにして思えば熟読玩味するうちに歳時記疲労をおこして、知らず識らずのうちに歳時記の奴隷となり、例句の模倣をする結果になりかねないことを諭したのであろう。

同時に季語にばかり依存しないで、季語にとってかわる詩語を発見することの楽しさを教えられたのだと思う。いずれにしても実作者として、執して離れることの必要性を強く感ずるのである。

このように歳時記の功罪ともども取りいれながらも、そこに掲載されている例句からは、かってのように全く新しい未知の刺戟を得るというわけにはいかないようだ。思索、感動の、つてが見つかるような便利な材料は、もはやそこにはない。

俳句は、すでにそれだけの甲羅を経てきてしまっているということでもあるが、しかし多くの俳人に詩の魂が生き生きと脈打っているのである。詩の初心が、とでもいえばいいだろうか。

枯野へ還す小さき母と盗癖児     岩木 安清

八月のなにも言えない粉拭き薯    田邊香代子

海底へ電車一気に生ビール      斉藤真理子

生卵ゆらりゆらりと樹氷林      十川 宣洋

天女くるグラジオラスの梯子から   中村 洋心

              
提出句から発せられるエキスで、身体の毒が消されていくような思いがする。てまひまに、どの歳時記を繰ってみても中庸を保たんとするあまりに、清浄野菜のような無個性な例句がなんとたくさん収録されていることか。

私は過去の俳人を認めないというのではない。古典は何度でも、時代を変え人を変えみつめ直されるのが好ましいと思うのである。歳時記に掲載するための秀句を精選するには、それなりの創意と汗が求められる。そこで新人賞こそ才能が掛け値なしに評価される場であると考えられるから、現代俳句協会新人賞作品などの、大胆な例句の採用と伝統俳句をうまく調和させることで色あせた歳時記のイメージを一新させることができるのだ。

新しい例句の採用を怠っているかぎり、歳時記ブームはしょせんあだ花として書架のかたすみに追いやられるであろう。
この際、思い合わせずにいられないのは、歳時記に滅びかけている季題を際限もなく掻き集めていることである。あと六年で今世紀も暮れる。かるがると時代を渡ってしまう前に、歳時記という名の玉手箱から立ち昇るけむりに、吹かれているだけの季語は捨てようではないか。

対面維持のための詰め込み歳時記であってはならない。身辺から離すことのできないバイブルのごとき顔をもつ歳時記であればこその苦言。では、歳時記にみる三つの「び」学び、遊び、喜びに寄り添いながら作られた俳句の目で飲むドリンク剤のような効果をあじわってみよう。

枯れはげし背負われし子の足二本    岩木 安清

子を撲ちし手を秋かぜにたらしおり   々    

天辺に鵙かがやけり死ぬまで父     中村 定雄

濃紫陽花最後の敵も消されたり     真野  賢

コンパスの芯がうごいて来る残暑    亀谷 栖鬼

               
1995.5