枠組みのない時代に



批評の視線





ヨーロッパに住むと批評人になり、日本の土に立ち帰ると詩人になる

小林秀雄        

日本の文化には批評が欠如しているのではないか。批評と称するものの実体は、肯定的意見に限定されているように見受けられる。批評の不在はもはや、日本の文化的伝統といっていいほどに、深くひろく、この国の各分野を侵しているようだ。


とりわけ俳句の世界には、批評が欠如している。句会においては参加者同士の、個性の相違が衝突し合うからこそ、生じる複雑な協調・波紋の素晴らしさなど到底望むべくもなく、俳句の批評は批評の皮をかぶった談合に過ぎない。


作品を批判することは、そのまま敵を作るということにもなりかねない。批判が建設的に受け取られず、感情的に受け取られやすいからである。 批評という名の談合のどこに、俳句を国際語として世界に普及させるべき価値があろうか。 俳句人口だけは、あのバブル絶頂期のはなやかな祝祭を今に引き継ぎ、多彩に浮かれているようだ。俳壇のかくものどかで、かくも平和な流れに、ちょっと水を差してみよう。


まず、どうして日本では批判や、批評そして討論という装置が、 機能しないのか。これは学校教育で、どのように批判し、討論するかを、学習しないことにも大きな原因がある。日本の管理教育は、他人と同じようにやることばかりに焦点があてられ、個人が意見を言い、他人と違う考えを持ち、行動するのは歓迎されない。


このようなやりかたは、戦後復興期や高度成長期には、おおきな力となり、大成功を収めることができたが、いま日本は世界のリーダーとして行動し世界に影響を与え、うごかしていかなければならない時期にきているのである。日本語が日本人のものだけではなくなってきている現在、いままでのように意見のない、よく言われる顔のない日本でいるかぎり、国際社会で評価され通用するとは思われない。


ヨーロッパや、アメリカの批評は成熟しているといわれるが、例えば米国の子どもたちは三歳のときから人前で発表することと、聞き手としてのマナーを訓練させられる。 小学校低学年には「SHOW&TELL(表現と話し方)」というカリキュラムがあり、この授業をとおして話すことを学んでいるのだ。欧米では、無口、シャイ、口下手だとろくに世渡りもできないどころか、変人扱いをされる。わが国では、以心伝心、沈黙は金、腹芸がいまだに堂々とまかり通る。


その方が日本的だと人は言うが、日本人はもう少し自分の言葉で自己主張をし、人と人との関係をとり結ぶことに長けていたならいじめも、オウムも、貿易も、政治も、外交も、ここまで暗く悪くなることはなかったのではないか。


今こそ「あなたと私は違う」から、始まるコミュニケーションを国を挙げて努めるべきである。価値観の違う人と出会い、たがいの風景を持ちより刺戟しあうことこそ、出会いのおおいなる楽しみとなるのだ。 価値観が同じという、安心感はここちよいものかもしれないが、そこからは何も生まれはしない。せめて同じ土俵では言いたいことを言い仲良しこよしの輪を取り外したい。


人間と自然の葛藤を栄養にしてきた、日本原産の俳句から批評が出番を失うことは間違いなく、活力と創作の質が低下していくことにつながるのである。 こんなことを書くのは「季節」誌の、一月号に「作者と批評家」として、岩下四十雀編集長の随想が載っていたからであるが、その内容を一部引いてみよう。


「現代の俳句の世界では、結社誌にせよ綜合誌にせよ、批評家、評論家は同時に作者、俳句作家であることが普通である。

その現実に慣れてしまって、それを異としないし、変だとも思わぬようになって久しい。それゆえに、同じ結社内では殊に評が甘くなるし、政策的になりすぎて来た。綜合誌においては、作者としては目のとどく範囲が狭くなって、広く句界をカバーし得ているとは云えない。


山本健吉氏の名を聞かなくなって久しいが、例えば氏のような立場の人がいて、偏頗することない批評を展開してくれることが理想であるのだが、どういう次第かそれが実現しない。

わずかに他のジャンル、詩壇とか歌壇の人が、その代役を果たしていてくれるようだが、それでも自家批評よりはるかに良い。物ごとは離れることにより、歴史は遠くなる方がよく見えるし、自由に書ける」。


実作者が批評をし鑑賞をする。批評家が俳句作者であり、詩人が小説を書き、小説家が十七文字による俳句という言葉の建築物を突きくずし、そのイメージから長編小説を、ものにすることもあり得る。


このようにして、批評と創造の間を往復しているのが、現在の特色といえるであろう。関連したことでいえば、大江健三郎の「万延元年のフットボール」や、特にクロード・シモンの「ランドルへの道」などは「青いX字影のついた黒のジャケツに白い騎士帽/マロニエの木立ちのくろずんだ緑の壁」と繰り返し繰り返し、散文の上を這うがごとくに詩を包みこんでいる。


また、外国の詩人たちの俳諧、俳句への傾倒には驚くべきものがあり、メキシコの詩人オクタビオ・バスの芭蕉への関心は「おくのほそ道」のスペイン語訳を推進し、彼の長文の詩論「弓と竪琴」には、俳諧、俳句のことが詳しく書かれている。


ごく最近では、芥川賞作家のミュージシャンであり、詩人である辻仁成がいる。ヒトナリと、入れ代わるようにして、池田満寿夫が亡くなった。彼もまた才気あふれた版画家であり、小説家であり、映画を撮る人でもあった。 こうして、完全に境界が取り払われ、遊牧民的に、俳句、短歌、詩、小説、その他さまざまな領域を横断し、交通し、通過するのがわが国にかぎらず各国に見られる特徴である。


時代の風潮が単一的で、静態的な視点を回遊しあらゆる分野に越境するのが日常化したいま、それを担当する専門の批評家は受け入れにくくなっている。 しかしあきらめるのはまだ早い。芭蕉の有名な「無能無芸にしてただこの一筋につながる」の「この一筋につながる」思いが、次なる世紀に、あたらしい生命を吹き込まれてよみがえるのだ。


批評の受難時代という、過度期的な現象は、ますます加速されていくであろうが、はたしてどのようなものに生まれ変わるのかはだれにも見通すことはできない。だが、あたらしい潮流が発生するまえの勢いは確実に世紀末の胎内に宿しているのである。


十九世紀末に産み落とされた「前衛」が百年をかけて、強力な生命力をもった言葉として成長したように、来るべき世紀は批評と創造が、もっとも力強く生き延びるであろう。なにしろ俳句はわれわれよりも長生きするのであるから。


私は幸いなことに、私の俳句への批評や助言をたくさん、先輩や友人たちから頂いてきた。そのなかで忘れることのできない批評をひとつ挙げよう。平成八年九月一日に行われた都内合同吟行会に参加したときのことであるが、吟行の場所は両国界隈。相撲部屋、力塚、その他に興をそそがれながら提出した作品「秋風に手が生えてくる力塚」が、天位となった。 司会者が採らない理由と批評を、田中いずず氏に求めた。


「大勢の人が共感した吟行句ですが私にはとれません。よくないとは思いません。私の感じ方と違うという事だけです。違ってわるいということは全くないのですから。つまりは「このみ」の、問題なのでしょう。作者と私のギャップは「秋風」がどんな姿で自分のなかに生きているか、棲んでいるかということだと思います。
「生えてくる」という、かなり生々しい肉感を伴う擬人化が私には受け入れられないのです。 私の秋風は何も生えてきません。まして手とか足とか人間の肉体の部分など、どうしても生えてきません。
秋風が生まれたとき既にそれなりの手があったという、仮定から発して作るのなら頷けますが「生えてくる」は現在か、これから先のことです。生えてくるという現象がこれから現れるわけです。
秋風に次第にか突然にか手が生えてくるというのは、気持がよくないというか気味悪く思われます。それともうひとつ「生えてくる」という措辞は、かなり力を意識させられますから「力塚」という力感のある物体への続き具合からみまして問題があると思います。
吟行でしたから、現実に実在していた力塚「石」を詠みたかったのだと思いますが、もっとさらっとした言葉で、つないだ方が力塚が生きたのではないでしょうか。そんなところです」。


義理や、系列に縛られない建設的批判の好例として、いすず氏の評を挙げたのであるが、ほとんど挑戦的といっていいほど、こてんこてんにやられながら、心のなかをフワーッとマッサージでほぐしてくれたような快感を覚えたのである。


私は、従来こういう率直な人こそ真の友人になれる人だと思っているのだ。 自分の俳句を旅に出して、多少のケガはさせた方がいいし、また必要なら、手術を施すべきである。この透明で、粘りのある批評を元にして欠陥を反芻しながらも反論のできない私は勉強不足というほかはない。


対象に取りつかれて、なお推し進めてゆけるのが批評であり、討論であり、それがおもしろさまで高められたとき俳句の現場は成熟していく。 アメリカでは、救世主さえ厳しく批判される。そして救世主さえ真剣に反論する。日本の文芸領域ではこのような批判の応酬はまったく考えられない。六十歳代は若手に属する俳句の世界ではいよいよ緊張感を失い硬直化していくばかりである。


小林秀雄(文芸評論家)は、褒めることは本当は難しいのである。ちゃんと褒めることができるようになったら、一流であると書いているが、けなすことの方が私には難しい。けなすことが目的ではないのだから作者を傷つけないように、鑑賞、批評をするというのは大変なことである。


まず第一に自分のことは棚に上げなければならない。当方の棚はヤワに出来ているから、よほどしっかりしてかからないとポロッと落ちやすい。まあ、これは余談であるが「季節」誌の月評は、できたての瑞々しい俳句を俎上に載せるのであるから、古典と呼ぶに、ふさわしい俳句を対象にするのとは、いささか微妙な相違があるものだ。生まれたばかりの落ち着きのない俳句は(なまなましさを十分に含みこんでいるという意味での)ひとつの明快な方向への対象化を許さないものがある。


その上、作者名もわかるために情のしがらみといった不気味な世界での展開になる可能性もあり、いきおい批評や鑑賞に取り上げるからには、悪く言わなくてはいけないものは扱いたくないという傾向が強くなる。


と、同時に駄作であるという証明を示さなければ、ならないような社会的責任など月評の担当者にはないのである。いずれにしても日本独特の協調主義のせいであろうか。


批評というものは、ネガティヴになる契機を無限に内在させる。それに対して半ば以上、肯定的な批評とは創るということに参加することによってしか得られないものだ。つまり、四十雀編集長のいう自家批判であり偏頗することなき批評家が待たれるゆえんである。


たしかに批評の成熟した社会では、だれもが言えることを書くのは批評家の仕事ではないといった気概がある。 だから良くない作品もじっくりと受け止めて、深く噛み付くということが柔軟になされるわけである。クリエイティヴであり続けたいから、常識の世界に定住しないで健全で、それゆえに壮絶な批評こそが俳句をそして文化を再生させる。


前述の田中いすず氏の批評によせて、最近つくづく思うのは、私たちは今、真剣に誰かに叱られたいのではなかろうか。ほめる言葉をつらねて貰うよりも、しみじみと、せつせつと、叱ってくれる人を待っているのではないか。


教師も、親も、隣人も、ふるさとの山や川すらも、人の子を叱ることから目をそむけているようだ。 塵あくたの世に降って湧いた、いすず氏の声はどれほど私を元気づけてくれたことか。


貝は、その中に生きる生物が自分で作るという。俳句という小さな容器の中で育つ批評と創造。ただそれだけが未来の生命を得る。 そこから、どんな耀きと可能性がもたらされるものなのか。          1997.9