金尾梅の門生誕百年・記念論文


          魂の俳業            


ことばはこころね。こころねに通う言葉のなんと深くて豊かなるものぞ、と言葉への興味が湧き、知らないことば達に出会いたくて砺波句会に出席した二十年前の師走九日。

その日は鍋田竹冬さんのお宅で句座を開いていた。そこに届いた師金尾梅の門の訃報。自分の俳句を、支える根底のイメージとして愛した、旅の光景のなかに、眠るようにして入っていかれたのかという感慨が、音をたてない地下水のように、句会場の底にながれていた。廊下に取り込まれてあった、シンピジュームの分厚い葉が、きびしい冷気を、くろぐろと吸い込んでいたのを思いだす。

この世の命日はあの世の誕生日と信じている私は、先生はいまも終結のない図り知れない、無限性の旅の道を歩き続けているような思いが消えない。

新しい千年紀を迎えたことしは、また金尾梅の門の、生誕百年の記念年でもある。西暦二〇〇〇年。あるいはミレニアム。それは、西欧文明がする時代への区切りにすぎないと、いわれればたしかにそのとおりだ。それでも私たちの多くはこの時期に、大きな時代の区切りを意識し、さまざまな期待も寄せている。 人は区切りをつけることで、みずから変化をうながし、あらたな道を拓こうとする生き物なのであろう。

俳誌「季節」の父、金尾梅の門に一度もお目にかかっていない私ではあるが、幸いなことに梅の門が書いた句集が残っている。「古志の歌」「鳶」「鴉」「鴎」「鳰」。この五冊の句集を読むことで会いたい時には、いつでも会うことができる。小論を書くにあたりこれらの本とともに暮らした日々は、私の生を鼓舞しつづけてくれ一種のルネサンス期を経験し得たのである。そうした思いの中から鍾愛する俳句を、世紀の変わり目である現代に問いかけてみたい。

とび の ねむり の こんこん と ふゆび うつり けり

金尾梅の門俳句の、精神に接近する契機となった仮名書き俳句で鑑賞の封印を解く。提出句の一年後に代表作である<とびからすかもめもきこゆ風ゆきげ>が、発表されている。梅の門俳句にある日鳥が入りこんできてから、もう何年位になるのだろう。きっかけというほどの、ものがあったわけではない。

おそらく鳶も鴉も鴎も、俳句を読んで見てなんとなく、居心地がよさそうだなあと思い自分から舞い込んできたのだ。墨のわくような暗い空から、やってきた鴉。雪片を散らしながら舞い降りた鳶、鴎。やがて梅の門俳句は鳥たちの棲み家となってしまった。自然や旅を愛した作家はどこにでもいる。驚くにあたらない。梅の門は、自然から、鳶から、鴉から、鴎から愛されたのである。なみのことではない。いわゆる無心の域にあったのだ。無心の境地といってももちろん幾多の厳しい過程を経ていることはいうまでもない。

昔、鳥になって空を飛ぶ夢を何度もみたものだ。中島みゆきの歌「この空を飛べたら」に「人は昔々、鳥だったのかも知れないね」という、くだりがある。人間の体には空を飛ぶ感覚が潜んでいるが「とび、かもめ、からす」一連の俳句から、始原のエネルギーが、噴き出す思いがするではないか。

鳥瞰図という言葉があるが、上空から眺める、たわいもない夢を今も持ち続けながら、提出句を鳥の気分で読んでいる。はだか木の枝に身を潜めるように、羽根をたたみ、じっと静止し冬枯れの景に溶けているかのようである。朱に染まった空の残照をあびて、彼の目はやがて静かに眠りに入る。

古来、日本ではトビに対して、霊力を持つ神秘的な鳥として崇められている。日本書紀にしめされているように、金色霊鵄となって皇弓の尖端にとまり、想像上の怪物、天狗はトビの化身としてわれわれに親しまれている。

今日、二月二十三日毛利衛氏たちを乗せたスペースシャトル、エンデバーがフロリダ州の、ケネディ宇宙センターに無事帰還したと報じている。地球を百八十一周した間、私はエンデバーの飛行物体が、鳶の化身として俳句の上空を飛んでいるような気分になっていたのである。右にあげた俳句は親しみやすい平穏な俳句と受止められがちだが、優しさに満ちた仮名書きによる空白の間合いのよろしさに、鳥へのほどよい情熱と、繊細な感性のひらめきが浮かびあがってくる。

歌人、折口信夫……釋迢空の句読点と一字空けについて、吉増剛造は「私はその歌を、一瞬にして覚えてしまっていたのです。歌は覚えられない、歌を覚えることが出来ない、あるいは言葉を覚えることの………その脳の野に歌のうねりが入って来ていました」と書いている。

この句の表現法である仮名書きについて西東三鬼は「俳句は既に視覚を以って鑑賞されてゐるので仮名のみの俳句は文字(漢字)による連想を拒否する結果を招く」と述べている。

梅の門は「漢字による連想に余りにもたより過ぎてゐないか。漢字のもつ魅力に眩惑されて表現のための感情の歪曲がなかったか」と。

この作品は、終戦直後の一九四六年、京都大学・フランス文学の桑原武夫教授が「第二芸術」という、論文を発表した直後に投じた俳句である。私個人の意見としては、俳句は、二流の文芸で結構と思うのである。俳句人口は非常に多い。無数に生まれる俳句の中に秀句もある。然し、それ以上に駄句も多い筈である。子供も大人も楽しみながら出来る俳句。だれでも作ることができる俳句。第一の芸術とは、誰にでも備わるものではない。生意気なことを、言って先達に、大目玉を食らいそうなのでこの辺で転調しよう。

  侏儒たち月夜の落葉ふむならし

落葉のざわめきが、雑木林にみちみちている。地上にふりそそぐ月の光は落葉の底から、野の底から湧いてくるのかしらと、思えるほどにみずみずしい。秋の夜の、侏儒たちの饗宴世界に舞いおりた気分になってくる。さわさわさわと踏みならす落葉にコビトたちは不死の生を夢見る。枯葉に月のしずくが落ちて宝石を並べたよう。吹きさらされた日もあるであろう、作者の魂のいたみは、名もない落葉に素直に驚き、それを神秘とさえ感じた一瞬である。

ジェットコースターのように、めまぐるしく変化しつづける情報通信革命の、時代であるからこそ、こうした俳句の出番が光を放つのだ。われわれが日々、直面している大小の地獄から、脱け出していちど、頭を解体修理してみようではないか。人の靴底に踏みつけにされる落葉にも、目鼻立ちというものがあるかもしれない。落葉には落葉であることの意味がある。

ふしぎなふしぎな、こびとたちが、ちょこちょこと月夜の集会にやってきた。月光の反射で艶めいた妖しい夜には、小人も葉っぱも人間のことばを、交わしはじめるのだ。二十一世紀、平成の段ならさしずめクローン落葉やクローンこびとが、陸続と誕生してくる。
「僕は茎の細胞からだけど、君たちはどこから?」
「キュイクルル葉っぱの裏の細胞からだよ、アッチッチ」
「わたしは侏儒の毛根の細胞からよ、ヒュヒュチュルル」
もう、そのにぎやかなこと。若しかしたら、誰も知らない遺伝子研究所の基地があるのでは。月の光の不思議な生命作用から生まれた生き物たちの、ことばを聞きながら、まわりの木や草は微笑み、石は笑い亀さえ鳴いてくれるのだ。私の目は月光を仰いで、ただただ、白目がちになってゆく。最高の幻影を追い、深々とした夢想空間に添い寝してうまれた作品と言えようか。

  お茶咲いて死に忘れたる者ら集る

句の中に歌声が流れている。離れては寄り集う人間たちが群れている。老人休養センターか、湯治場であろう。金がなくても時間を消すことのできる場所。頭の中で死という文字があっちへ行ったりこっちへ来たりしても、それをしばしの間、消してくれる場所。

いつまでも夜が、明けないような気分にしてくれるのだ。猥雑な話しもほしいままに飛び交って。それらがみんな、ほのぼのと温かい。浴室の中には、もうもうと湯気が立ちこめて、板に、書かれた効能書が、有り難そうにうっすらと滲んでいる。男湯は覗く訳にはいかないけれど作者、梅の門も浴槽の縁に腰をおろし「はぁーエエー気持ち」と、すっかり肩の力が抜けて。戯画的ともいえる、人を食ったところのある作品であるが「お茶咲いて」の季語が、俳句をひきしめる詩的な塩となっている。

   火という火消し梁の下に寝る

雪に閉ざされた屋根の下には、深いやすらぎの火、ゆらめく火、あやしい火、それぞれが輝きを増して揺れている。その燃えさかるさまを業火と呼ぶべきか、否、人間の内部から噴きだす官能の火というべきものに違いない。異性とかかわって生まれる官能ではなく自分の内側、からだの奥部に息づいている生理を呼びだして感ずる自己完結したエロチシズム。

外はしんと雪の降りつもった白炎浄土。火という火を消し、輝く闇の中で梁は生き始める。闇を闇たらしめている究極の無音浄土。男と女、火と闇、生者と死者、この世にはさまざまな境界があるがその境界を超えるとき詩が生まれる。

火と闇を対立させて生の狂い目まで連れてゆき、私の夢想癖を存分に、あそばせてくれる俳句である。火を見たらきっとこの俳句がよみがえるだろう。歳月に流されずに記憶し続けるだろう。

   餅の荷を解くふるさとを暴くように

もなくやってくる正月。少し風邪気味で、元気のないところに届いた餅の荷。あのへんの餅米は大正餅。ただ粘るだけではない。歯切れが独特なのだ。土と水が格段に優れている。輸送手段のまだそれほど発達していない彼の地から、送られてきた餅の荷を解けば杵と臼を使った餅のいろいろが、豊作と、正月の夢を奏でるように出てくる。

豆餅、蓬餅、ズンダ餅、コンブにユズ入りもちなど、もち三昧。一体どんな副詞を使ったら、このかろやかに飛び跳ねたい気持ちを表現することができるだろう。ヨモギの香をさっと口に押し込む。まめ餅にちょこっと砂糖醤油をつけて「あ―うまい」と吠えながら食べる。

極め付きはユズ入り餅。お上品に鎮座あそばしていらっしゃる。あたり一面に柚の香りを撒き散らして。故郷を離れて二十年になる。その時空を超えた思いが、ふるさとを掌中の、珠のように輝かせる。ふるさと。それは未来永劫、カビの生えない言葉だ。

   水中のおのれへ鳴けり冬の猫

エステティックサロンの猫科美容室を、覗いているようなペーソスに彩られたおしゃれな俳句である。うららかな冬の光に誘われるように、さまよい出てきた猫。おのれの影らしきものが鳴きながら水面で唱和している。よく見れば水中には、十七文字もたゆとうように泳いでいるではないか。

今日は猫たちのパーティだ。メンバーズクラブの会員証を再確認するための儀式なので、艶めかしくニオイを発散させながら水中のおのれを、眺めやり毛繕いに余念がないのである。影とは、嫋々と吐きつづける第三の実体なのであろう。「冬の猫」という存在そのものが、振り払うことの出来ない、われわれ自身の影なのだということに気づかされる。

   うらがわばかり来て梅雨夕焼のうらがわ見る

人は何処から来てどこへ行くのか。死後はどうなるのか。そんな疑問や、人生の不条理を感じたときに作者、梅の門のこころの深いところに、暗さをともなった梅雨夕焼が、呼び覚まされたのではないか。旅に旅をかさねた一種のデラシネ的な、要素も兼ねそなえた梅の門の魂の旅は人よりも三粒も四粒も、よけい涙をながしながら自分を超えるものを自分の中に、探すことであったに違いない。

梅雨じめりの空気を押しやって、夕焼いろの光線が徐々に強さを増してくる。せめぎ合いつつ、機嫌のいい空気がながれてくる。

梅の門は絶望を見つめて絶望はしない、明るさを伴なった孤独を内側に切り開いて歩み続けた人である。孤独が、孤高でも孤立でも弧絶でもなく、苦しみが、こころの貧しさでも、冷たさでもない。 幼少の頃から旅を業とする家庭薬配置で味わった、曲折とか波動のようなものが、体内であかあかとした輝きの糧となっている。硬質のマリモとなっている。

それらが背中あわせの一体感となり溢れる叙情を醸し、梅雨夕焼の裏側に張り付いているのだ。夕焼の赤は、人間の深部の記憶にふれる色である。

水の匂いに満ちた先生のふるさと、水橋町の雪もそろそろ残雪のかたちに退却を始めているようだ。すこしずつ風も、やわらかく、色づいて私の体のどこかで、梅の門俳句が低く鳴りつづけている。

 慟哭のはていっぽんの薄折る
 雪たべて杉の匂いを思いおり
 白菊に恍惚と藁かかりけり
 鶯にだまされてゆく浄土かな
 繭鍋のほのかにぬくし十三夜
 すみとりをひきよせてきくかりのこゑ
 ふところに入日のひゆる花野かな
 畦枯れて畦あたたかくつづくなり
 冬いちご森のはるかに時計うつ


人生において朴訥に生きることと、ふかく熱中することを、両立させた金尾梅の門。凝視の徹底を、主張し続けた精神を、投影した俳句には微塵も奢りがない。泡のようなことばの洪水に溺れそうになって足掻いている私に、俳人として生きることへの静かな確信を与えてくれたようだ。

 いま最も気になる人、それは金尾梅の門である。六十年以上に、及んだ俳句行脚を「魂の俳業」と、呼んで不足はないだろう。    2000.5